蜜琴

石ころ                 
何かの相手の反応のあと 
この人ほんまになんとかやわあ と私が相手を判断しているとき
その相手の反応よりもずっと前に
このひとは 嫌なことを言うんだろうなという想いをそのひとにべチャッと
はりつけているから そのひとがそうふるまったのかもしれない
ようは 石ころを会う前から なげている


べチャッとはりつけているものを自分の現実としてつくりだし
でもそれは自分でしたものだときづかず 相手のせいだとまた
他者へ 石ころをなげつける
その立場ならこうすべきとか これくらいしてくれるだろうという期待なんかも
石ころにいれたいと思います^^

相手を過去の出来事で判断するとき
わたしは 自分自身が自分の内側の輝きをさえぎっている石ころに
なっているんだなあとふと思った。

目の前で 敵意 とがめを発散している人をみて おお 石ころになっとるな
本人じゃないなと 思えたらすばらしい。
そんなどころじゃなくて 観察をわすれて とがめと一体になって
言い合いになるとき
石ころどうし カチンカチンとぶつかりあって
そこかしこのいのちの流れへの抵抗たちが わさわさわさと共鳴しあう
自分がその共鳴になる
************* この世界は 危ないところだ 
敵がいる 戦わなければ生きていけない
という戦国時代の思いが 現代という 今日 この瞬間もでていたら
もちろん 貧しさや困ったこと 奪わなくてはいけないという思いが今日の世界の基盤になる

他者へ あしたへ 出来事へ 石ころをなげつづける
その世界では 守ってくれることが愛になる
そりゃあ当然です。 わたしも そんなときちょっとでも 危険から救ってくれる人が
愛する人になる 戦わないひとは 裏切り者になる
そして自分も犠牲をはらうことが 相手への愛になる
安全でいるには 戦うこと  安全 安心 愛 にお金もむすびついて
戦うことに 仕事や 人間関係 うばいあわなくてはいけないという想いも
べチャッとはりつけているかもしれない


相手に石ころをなげて 自分は正しいと思い やがてどんどん石ころが大きくなって
その思いに乗っ取られて(その思いを自分だと思い込んで) 
やがて自分が石ころになってゆく
条件を杖にして 働かざる者 食うべからずの世界になるのは その思いの世界では
そのまま理にかなっている
そして条件はうつろいゆくものだし 自分がいのちとすこしづつ離れていっているから
だんだん疲れてくる
世界は 色のない くりかえしのつまらないものになってしまう

ところで  この 光をさえぎるもの と 石ころを ボンドでくっつけて
このたとえ話をしていますが それを はがすと その決めごとだけが
まぼろしのように消えて
たった今
静寂さと賢さをはなち 地球のあちこちに
石ころたちは 静かに息をしているのだなあ^^
過去の出来事も 思いも すべて ボンドをはがすと そのままなんだろな

こんな風に 自分の内側で ひとつひとつ ありのまま そのままにしてゆくことが
私にとって自分の一番大事なしごとのような気がしてます

自分をみていて ああ 大きなうねりの中にいたけど こんな思い込みが基盤になっていたのかあと思うことがあるけど
じゃあ 思い込みを探してやろうと フックをひっかけるようにさがしても
 またちょっとちがうかんじがする 
(ほら お話の 自分がくじらの上にいることなんて 広すぎてわからなかったように(笑))
 


やっぱり一瞬一瞬の積み重ねだろうな

それに べチャッとはりつけている考えが いろんなことを 今支えてくれているかもしれない 急に それが 一気になくなっちゃうと 谷に落ちてゆくみたいに足元がぐらついて
立っていられなくなる気がするから やっぱり
一瞬一瞬 安全な自分のペース、それでいいのだ^^

::::::::::::

自分の世界の中心にすえている考えが
安心や幸せは 外側から もらわないと 自分にはないものだということだと
よく気づくけど
 
自分が いのちの共鳴になるにしても 抵抗の共鳴になるとしても

共鳴する働きが自分のなかにある かがやきの働き 抵抗の働き
それらは自分がもっているから感じるんだということをすっぽりと長いこと
忘れていたようです

本質にむかって
砂時計みたいに 輝きがひとつぶひとつぶ落ちて
それを取り戻している最中で 石ころになっている自分にきづいては
きづいては きづいては 今 今 今 自分をとりもどしてゆく
瞬間を与えられているんだな 

相手がすばらしく感じるとき いい気分になるのは 
かがやきがかがやきに出会って それが 自分にとって楽な自然な状態だから
かもしれない

*************

そう
石ころになるという言葉 なんだったか、、、
ハワイの、、そうだ 高砂淳二さんの
           (おお 高砂ってなんて美しい名前なのだろう
             この名前を見ただけで 砂の美しい音がきこえてくるよう^^)
写真集 night rainbow  の中に紹介してあった。
このこと むかしにもブログで書いたことがあったような気がする。

ちなみに 個人的に なにか おてがみとして誰かに
おくるとしたら
迷わず 私はこの写真集を選ぶ

今 この写真集をめくってみると あとがきに
高砂さんの 
Tales from the Night Rainbow (1816年生まれのある女性ハワイアンによる口述を本にまとめたもの)との偶然の出会いについて書かれてあった。
この本で口述をした女性ハワイアンの家に先祖から伝わるある話として
紹介してあるある ありました。

「どの子どもも完璧な光で満たされたボウルを持って生まれる。
その気になれば光はさらに輝きを増し、サメと泳いだり 鳥といっしょに飛んだり
どんなことでも理解できるようになる。

ただ嫉妬や妬みをもつようになると、石ころをボウルに入れてゆくことになり
やがて光は消えていき、 しまいには その子は石になってしまうだろう。
でも もし石でいることが 嫌になったなら いつでもボウルをひっくり返しさえすれば
また光を輝かせることができるのだ」



この言葉をひさしぶりによんだら 今
自分にすっとはいってきたというより 自分からあふれてきたみたいな
不思議な感じがしました。

そしてわたしの 本棚の真ん中には これがたてかけてあるのです。
Tales from the Night Rainbow ハワイに住む友人が数年前に送ってくれたのです。英語を訳す能力と根気がありません 
でも ときどき
この表紙から ふと とおりすぎたとき ふとちらっと目にはいったとき 
ふとしたとき 感じることをもらっているのです。
本に表紙のお写真をのせさせてもらいますといいました。
今 なんだかいいような気がしました


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