蜜琴

蓮池の一瞬                 


空をひっくりかえしてみました^^ 新鮮な世界です
影がいきているみたい 

水面に雲が流れてゆきます
世界を受け入れ、ながれてゆく水面を自分の内側に感じてみると
しずかな気持ちになります
 












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この蓮池は 宇治にある萬福寺という 
お寺になかにあるお池です。
さっきのほていさんもそうです^^
萬福寺って 江戸時代に中国の福建省から
渡来した隠元禅師が(いんげんまめのいんげんね) 
法王や徳川将軍家より尊崇を得て 開創された寺院だそうで 
日本三禅宗のひとつ 黄檗山の大本山だそうです
黄檗山 お、 お、、と読むこともできなかった私ですが
ここは禅のお寺なんですね
建造物は 中国の明朝様式を取り入れた釈迦配置と書かれてあります
仏様へのお供え物も なんだか おこぶや乾物(赤)やきゅうり おあげ で
ぽんと横に置かれていた桶のなかには 2匹の魚が泳いでいました
やっぱり ここは日本じゃない、(行ったことはないけど)中国なんだなって感じでした

建物においしそうな桃がほられていたよ きっとむかしは 鮮やかすぎる桃色だったみたい
よくみるとはげ落ちていたから。 今の木のままもとてもよい味ですよね


はじめて連れて行ってもらって たまたまこの日 大雄宝殿では(とてもひろいお寺です)
中元法要(盂蘭盆会)があり
ついたときちょうど法要がはじめるところで
なんとなく自然に座らせていただくことになったんですが
太鼓や鈴などの楽器の音とともに
お経が歌みたいで 気持ちよくなって 思わず わたしも音を鳴らしてしまいました。
今、バックの紐をククイのレイにしてるんですが
それらを振ったり
合わせると カラカラとよい音がなるのでつい、、
でもわたしのその様子をみて 一緒にいたひとは たいくつしてるんだと
思ったみたいだけど参加していたのです^^

ほう!と思ったのは 中央の仏さまの真上には 大きな額が飾られてあり
そこに書かれていた文字でした 
自分は形だと思い込んでいたけど 形を受け入れる空間でもあるんだなあと
最近思っていたところだったので。
人間はいったいなにかという答えが そこにあったのです。

かかげられていた額のなかの文字は「真空」でした。

そしてこのお寺にうかがった一番の目的は 普茶料理をいただくため
このあたりには 普茶料理(すべてお野菜の中国風精進料理)のお店がたくさんあるそうです
私が連れていってもらったのは 萬福寺境内にある 銀杏庵というお店です
すばらしくておいしくて心がこもっていて最高でした。
油であげていたりして 味の強弱もあるので 
次々にでてくるお料理に あきるどころか 驚きの連続で
ボリュームがすごくて食べきれず ごはんは お店でくださったいれものにいれて
持ち帰りました。なんてあたたかいおもてなしなんだろう
ぜんぶは紹介できませんが あとはみなさまもいつか行かれたときのお楽しみに。
前菜のお写真だけ、、、




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蓮と蓮池 心と心持ち                 
この心惹かれる曲線はいったいなんだろう
 

おみくじでひいた布袋さんです
かわいくてすぐほしくなった。


悲しい歌や踊りを踊るとき、顔や心は泣いていても 心持ちや体全体では
こんなほていさんのような表情が発射しているように感じる

花や木も顔はないけど こんなような気がする

: 意識 : comments(0) : - : posted by yuka :
くだらないの中に                 
ああ ゆううつだ、、、

というとき
これこれこうだから ゆううつなんだ
体がしんどいから
あのひとがこう言ったから うちの家系がこうだから
こうなっていたら ああなっていたらと
頭の中で考えがつづいてゆく

猫なら ゆううつ だとしたら
ムスっとして ゆううつだ。おわり! 
ただそれだけなのです(笑)おもしろい。
おもしろいけど そうなんだもの

(ゆううつだ)、おわり! の()のなかに 罪悪感 とか 不安 とか 嫌悪とか はやる心とか
こうこうこうゆうものだという考え方 なんでもいれることができる

救いだと思うのは
私の内側で憎しみ(他人ではなくほんとうは自分へ)を握りしめてる自分さえ 
猫(ネコ科!?)が大好きなんじゃないかなと思うこと
みるだけで唾がにじんでくるくらい好きって
ちょっとぎりぎりだけど
その時自然治癒力がぐわーっとあがってゆくのがわかる
みんな好きなものにはそんなもんじゃないのかなあ 
ちょっとおかしいんちゃうかと思われるほど
ベタな言葉しかでてこないような
ほかの人にとってはくだらないことが自分には大事だったりする
それを他のひとが理解する義務なんてぜーんぜんない
自分の苦しさをほかの誰かがとる義務はこれっぽっちもないのと同じ
だからわたしは気持ち悪かったらふつうに逃げることにしてます

たまらなくくだらないの中に気楽という宝石がひかる 
くだらないがふたつもみっつ もあったとしたら
ほんとうに幸せだなあと思う

これ関係ないけど わたしの好きな写真 インターネットの中で見つけました



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女性の方 生理前とかに 重苦しい ゆううつを感じることが
多いかもしれません
女性として自然とつながっているすばらしいことなんだよなんて
あほなことをそのとき本人に言ってはいけない
声にならないほどのかすれ声もしくは念であほっとかえってくるだけだし 受け答えできないくらいしんどい方もいると思う
得体のしれない怒りに包まれることもあると思う
そんなとき 白いみつばちや白いシャチっていると思う?ってきかれても
そんなもん いてもいなくてもどっちでもいいんじゃっって思うに決まってる
ヘタしたら 架空のこん棒が飛んできている
なんで自分だけ って思う気持ちでいっぱいで。

それでも 自分から湧き出てくる想いと
自分で向き合ってゆくしかない
そのひとつひとつのくだらない、誰も見ていない 夜の片隅の 世界の片隅の
向き合うことそのひとつひとつに わたしはおじぎをする気持ちでいます
そのひとつひとつが尊いです

そのひとつひとつの向き合って受け入れるということが
物理的にはじっと動いていないように見えても変わっていないように見えても
こころのなかのそのことが
足をすすませて 踏んでいる大地を あたらしいものにしてゆくのだなあと感じます
自分のどんな考えや思いから成り立っている大地なのかがわからなくても
今、たったいま 体験していることが 今自分の内側にあるその原因を指して教えてくれているから。
: 意識 : comments(0) : - : posted by yuka :
出合う                 

この前 ジブリの耳をすませばをはじめてみた。
今までみていなかったことに感謝した。
だってめっちゃおもしろかったから。

もうすぐ風立ちぬが公開される 楽しみで仕方ない
うれしいうれしいうれしい
。。。。。。。。。。。。。。。。

そうだ これから 意識について書くときは 
バロンより にするね。
男爵のバロンとは 耳をすませばに出てくる猫の人形です。
等身大のわたしから、、じゃぜんぜんちがう気がするから。
ではバロンよりです、、、(名前 お借りっ)

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安全に環境が整えられ 豊かなら 魂の輝きは容易にでてくる
苦しみがなければ犯罪者も戦争もない

人間の世界では いろいろな 事柄や状況が 人類共通の痛みの部分とつながっている
それは人間ひとりひとりに巣食っている

そしてその事柄を見たり聞いたり前にしたり苦しい状況がおこるたび 
あなたはあなたの中のその部分に出合う

大切なのはちゃんと出合うこと

出合うには 痛みの部分と一体になっていては出会えない
その部分を見つめている者として あなたという魂として
あなたは意識を立てていなければいけない
そのときはじめて痛みを受け入れることができる

テーブルを囲んであなたが家族と話をしている
いろいろな心配が家族から発射され 自分も不安になって 追い詰められた気分になる
あなたの中で個人的に追いつめられていると受け止めている部分に気づいてください
そのときあなたは あなたの家族として生きているひとつの魂とテーブルを挟んでいるのではなく
あなたの痛みと 相手の痛みが向き合っている 
すなわち 自分の中に巣食う痛みにあなたがなっているのです
そんなんじゃだめだ  どうするんだいったい! 
そんなことできるはずがない 価値がないのだ と言ってくる
それに無意識に吸引されて 世界がそれだけになって
ものすごく小さい世界に閉じ込められていることに気づいてください
肌にあたる風や食物になってくれる果物 花の香り 窓の外にみえる空
たくさんの贈り物があなたに届いていることに気づいてください
意識をひとつ大きくもってください
誰と向き合うより先に まずあなたは自分の内側と出合うのです
心から幸せを感じたとき ふと ぼんやりと気がかりな誰かが浮かんできて
罪悪感が湧いてくる
自分の中の痛みが 喜びつづけることをさせない
不幸柱として立っているその痛みが 痛み自身のことを語りだす。

あなたが痛みではなく ほんとうのあなたとして立って
あなたはちゃんと痛みと出合うことができれば
どんな状況の中でも 自分というたましいの輝きを 発することができる
それは強さ、魂の受け入れの強さ。
苦しい状況がきたら その苦しみに乗っ取られてしまう場合は弱い 魂の受け入れが弱い

この世の考えでは苦しさがないことが幸せだという その通り
魂の立場では 苦しさの中でも 魂がしなやかに発することが 楽しみだという その通り
どんなことも ある目線では その通り

あなたは地球に 魂をよりしなやかにするために来ている
どんな状況でも 自分という輝きをきっと発してみせる と
あなたという魂が満ち満ちた思いで
地球に降り立つ決心をした という遠いむかしに聞いたおとぎ話なんて忘れてしまったかな

今 地球でのあなたは あなたという輝きとして 痛みを内蔵している
生まれる前のことも忘れ 死んだあとのこともわからないというその世界では
痛みがあることは当然なのです
痛みはただ痛みそのもので
あなたが自分自身を痛みそのものだと思うこむこと
それこそあなたがあなたにかける呪いなのです 
すなわち自分を忘れることが
文字通り絶望なのです
でも絶望が極まって自分を思い出させることもある なんとすばらしきこの世界!
人に見せないその奥深くの暗さがあるからこそできることがあるのです
その暗さを包み込んでいるあなたがいるからこそ それを活かすことができるのでう
そう だからあなたは絶望からはじまるのです
忘れてはじめて思い出すことができる
そのときはじめて魂同士で出合うことができる 
遠い昔に忘れてしまった それはほんとうはなじみ深い次元が
すこしずつ降りてくるのです
なんとすばらしきこの世界!
あなたの前に起こることすべてが
ほんとうはあなたという本質を思い出させるために
本質を引き出すことを妨げているものを受け入れ吸収するためにくると
あなたは自分で気づくのです
自分という本質に出合うのです
なんとすばらしきこの世界!

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今という瞬間へのレター                 
 気づいていること意識的でいることって
受け入れることです

こうに決まっている
たとえば危ないに決まっている
と何か対象に思いこむたびに
未来の今という瞬間に きらいですとレターをおくりつづけている
ともすれば 会津に敵が攻め入ってくるかのように
あしたやこれからのことや誰かのことをそう思う 
そして 同じ現実を無意識にくりかえし作り出す

そのとき その恐れや判断をそのままただ受け入れる
今に起こっていることを条件なしでそうなんだと 受け入れる
そこから逃げるにしても対策をとるにしても 受け入れてから
そうすることができる

うれしいことは自然に受け入れられるけど
不満や不満を引き起こしている現実のことも同じようにただ受け入れる

不満を言うにしてもまず
不満やその状況を自分の中で受け入れてから
言うこともできる

そのとき きのうの今という瞬間や
あしたの今という瞬間にもつながってゆく

今という瞬間にわかりましたと受け入れるとき
未来の今という瞬間にも調和というレターをおくる

うけいれられるはずもない
恐ろしい過去がたくさん私たちの中にある
その抵抗はものすごい大きなかたまりで
それに圧倒されると
息苦しさや行き止まりの感覚で
窮屈な思いにのしかかられるような気分になるかもしれない
それは誰かやある状況から自分がその状態になった(自分のそれを見ることになった)かもしれないけれど
それは外から来たんじゃない
自分の中にもともとあったもの

ほんとうは判断が問題なのではない 誰かが仮にあなたを判断しても
あなたとはなんの関係もない
あなたが誰かを判断しても あいてとはなんの関係もない

問題は 過去の記憶ではなくその過去の出来事への自分の判断で
自分の心の中で判断に敵対している自分自身の内側にある

その窮屈さが永遠つづくような感じを体験するかもしれない
その苦しさからにげることはできない
受け入れることしか方法がない
 
そのとき悪意にみちた自分の部分が現れる場合もある
それにあまりに圧倒されると コンパスのえんぴつの方に倒れてしまって
コンパスが立っていられなくなる
この世界の中ではその状態ではとても苦しく暗闇のようになってしまう
だから圧倒を感じるときは一層心の目を開いて
その部分は自分の全部じゃない、一部だということを忘れないようにしたい
そうすれば
この部分は行き詰まりを感じているけれど
それはこの部分が与えようという発想がないから 
ないものばかりを見て 今あるものを見るという発想がないから、行き詰まりを感じているのだなあとか
それぞれの中でいろんな気づきが起こるはず
そのとき自分の内側を大きな視点で見ていることに気づくはず

その過去の今という瞬間への敵意が
今 この瞬間に表れてきてそれを教えてくれる今を
受け入れることしか私たちにはできない

今という瞬間には いろいろなことがあるけれど
いつも心の中でまず 今を受け入れると決めることもできる

受け入れる感度をよくみているとおもしろいかもしれない

そうやって バランスをとるということが
わたしたちには抜け落ちてしまっている
コンパスの針をたてて 鉛筆の方とバランスをとったとき接点が
生きてくるように

今という瞬間は自分といういのちでもあるから
自分の中で受け入れないままバランスをとらずにいることで
自分といういのちからも離れてしまう

そのバランスをとる機会は 毎瞬やってくる^^





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あなたから                 
ふと内側から湧いてきました。
意識について思いを馳せると
空に 空っぽの器をさしだすみたいに。

あんころもちくいてーと空に叫んだら
空から落ちてくるみたい!?


それはそうと、、よい七夕を!
わたしも夜空をみあげたいと思います
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 あなたは 自分はこんなこともできない 達成していない 実現していないと
何かを見るたび思って 自責を経験する 自責と自分をベタっとくっつけてしまう
その罠にはまってはいけない
物語や感動的なよい話のようにちゃんとした自分になれないと
くりかえし思う また 誰かからそう判断されて
ベタッとどんどん判断に貼りついて
あなたが自分で気をつけず 罠にはまりつづけたなら
しまいにその判断じたいになってしまう

たとえば
あなたの子どもや 両親や家族 あなたの親しいひとや誰かがあなたのことをなんと言おうと
なんと判断していようと それは ほんとうのあなたとは
なんの関係もない
それはその当人たちが握りしめているもので
実はその当人じたいとも本当は関係がない
ただあなたも相手も同じものを握りしめている
心からの心配という善意が
どんどんボンドのように相手をかんじがらめにしてゆく
かといって 彼らはあなたが敵視する相手ではない
あなたが敵視する相手はなにもない
あなたが受けいれるべき相手しかこの世にはいない
それをいつか自分のペースでそれぞれが気づいてゆく
それぞれの中の本質が現れてくるのにまかせばいい
あなたはあなた自身を見つめるだけでいい

あなたの中でこの世の考え方というものが
信じられないような強さで断固として根付いているだけ

あなたにしかできないことが あなたの内側のはじめのときからある
すでにあるものを 手に入れることはできない
あなたはただ あなたの才能が発揮することを 受け入れるだけでいい

しかし それが 過去のいろんな体験によって 実のところ
体験そのものではなく その体験からあなたが作りだした思い込みによって
自分が才能を発揮することを受け入れないようにしている
先祖代々 なんの疑問もなく それが受け継がれている
世間として定着している



自分のしていることや 自分でつくったということにも気づけない
自分の意志ではどうしようもない苦しみが自分に覆っていると
なげきつづける 
無知を選択しつづける
恐れはそれほど自覚なく自分ではコントロールできないほどの威力がある

ほんとうはあなたが求めているものを あなた自身が一方で
断固として拒絶している
ほんとうはあなたが(あなたの握りしめているものが)そのまま現実として
現れている


あなたが今 体験していること その原因が 今この瞬間
 あなたの内側で差し示されている
その軸となるのは いろんな自分の思いや状況 感情に
気づいていること
そうしてはじめて いろいろな貼りつきから
自分を自由にできる
自分がそれらと関係がないと理解できる
そうしてはじめて 自分という円をバランスをとって描きはじめることができる
同時に 今という瞬間は 未来の何か実を手に入れるためにある瞬間ではない
という気づきが
今しかないと気づきが起きてしまうほど
今が新鮮にあたらしく自由になるのです
考えをこえて感の中へ
今とあなたが手を取る瞬間です

たとえ あなたが自己実現できずこの世を去ったとしても
(あなたはとてもそんなことに耐えられないでしょうけれど)
でもそうであっても
あなたといういのちが もともとあるその輝きが傷つくことはない
出番がなかった、かがやきそのものだから
あなたはコンパスそのものなのだから
円を描かないからといってコンパスじゃなくなるわけではないのと同じ。

だから あなたは 自分というコンパスが ちゃんとこの世界で円を描けるように
世話をする世話役にならなくてはいけない

あたりまえと思っていること
世間の常識 
そんなものから いろんなものから
いつも 
あなたから 自由にならなければいけない
その間もいろんな判断がされるだろう
だけどそれはあなたがあなたの足をひっぱっているものとして
気づいているだけでいい それに抵抗する必要はない
あなたから はじめなければいけない
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コンパス                 
今日のポーチは さなぎが孵化して蝶になり 蝶は去り
昨日咲いた黄色のハイビは 帰る準備で閉じはじめ

夕方蕾だったピカケは 今、夜深まって 
開花し香りをポーチじゅうに充満させています
流れるポーチ でも いつも 今というきらめき 





まるでこのポーチはいろんな客人を迎える家主のようです
花 香 夏をむかえ また移り変わり やがて 秋を 冬をむかえる
蝶が訪れ 蜂がくる 美しい虫の声がやってきては去り 死ぬ虫や 生まれる息吹をも
じっと まるで 見守り役のようにただ見つめる


私たちは みんな
たとえば すがすがしさ や ゆううつ うれしさ 怒り 心配事 出会い 別れ 繁栄 衰退 仕事 病気 健康 死 生 というさまざまな客人を 迎える家主のようでもある
性別や 人間 自分というものさえ客人といえるかもしれない

それは 自分の気持ちや 自分の状況 体験 考えが自分だという人間的なとらえ方と
もうひとつ別のとらえ方 
それらの決定的なちがいは
たとえば わたしは病気だ とわたしは病気を体験していると表現できる


今 ふとなぜかコンパスがうかびました。 
なんかヒントなのかな
中心で接し自由に開けるほぼ同じ長さの2本の足からなる
その2本足は どちらかが地について不動(針の方)で どちらかが自由に動く(えんぴつの方) そうしてバランスをとってもこそ はじめて円をかくという目的を成す
ことができる

私たちの中にも女性性と男性性が存在している
でも わたしたちは 女性か男性のどちらかを軸にしている
両方もっていながら いつもどちらかの片方をとっている


地についている足が両足としたら
胴体と頭で接していて
動くほうの足が両手になる 


中心で接している部分と 針とえんぴつに 
いろいろあてはめてみる

世界とわたし
自分があって 自分の内側の世界と 自分の外側の世界がある
それらはひとつのコンパス
外側の世界の原因は 自分の内側にある
内側の世界の結果は 自分の外側にある

2本の足はバランスをとりあっているんだなあ

あいてと自分と今
 
  
はじまりとおわりと今  
問いと答え 
それらはひとつのコンパス




前屈やのびをするとき のびて気持ちいいところの真ん中からエネルギーがあふれる

その真ん中には 扉があって
ちがう次元へつづいてて その扉から 見えないいのちがあふれてくる気がする

どんどん ポーチ(家)の風景は流れても  家主はいつも今 じっとして見つめている

コンパスとしての 不動の自分と移ろいゆく自分 その不動の自分こそ
見ている意識 気づきかもしれません

内側を意識してはじめて 意識する方と意識されている方が生まれる 
その真ん中の今という扉をひらけるには 、、、観察するというひとつ大きな視点を
育む必要がある いのちというわたしを選択することでもある
コンパスはここにもある
たとえばイライラしている人が目の前にいる
そのイライラさせているものが 自分の中にあると見つめるとき
もしくは 自分も相手もいのちどうし同じ存在なんだと
相手の中に自分といういのちを見るとき
相手と自分はひとつだとするときそれが接点となり扉につながることができる
見つめる視点が 不動の点になり 自分にも相手にもいのちのちからが働く
接点のその扉の奥にわたしたちに共通するなにかがある
そしてそこへ行くには 不動の点である軸(見つめる視点を)を通さないと行くことができない


私たちの見える体と見えない体 そのどちらとも重なる接点の奥に
生命力が湧き出る場所がある 

私たちにとって必要な 眠りもそうかな 真ん中のくの字の接点へむかっている

 
こんな風にいろいろなものと照らしあわせてみると
おもしろい 答えはいつももう目の前にあるのかも

小学校以来コンパスなんて忘れているわたしにふとそれを思い浮かばせたのは
いったいなんだろう
ヨガで誘導していると 自分のしらないことが ああ そうなのか と思ったりする
そのひらめきみたいなものは いったいなんだろう
扉が開いた隙間からふと落ちてくるみたいな気がする

流れゆく感情や思いを気づいているのが自分だというその隙間から

コンパスってわたしやあなたや いろんな営みの働きを表しているみたい^^
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追記 次の夜 ピカケはピンクに
流れるポーチ


その翌朝



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自分に何を渡そか                 
 交流というと 人と人ばかりではない
人と木 人と物 人とこの瞬間、いろいろある
そして その何かと自分が交流するとは 
交換するのかもしれない
何と何が交換するかというと古い自分と新しい自分が^^

交流を 交感と書こうかな。

こうかんと変換すると 今 好感という字がでたけど そういえば
交感するとき 好感を持っている 気持ちよさを感じている
花に近寄ってゆくとき 猫に近寄ってゆくとき かもめに話しかけるとき
とても楽しげな楽ちんな心地がする
そんな好感ってなんだろう すくなくとも
うばってやろうという気持ちではない気がする


人と人の間については 好感って 
ちょっと複雑さを帯びてくる

ちょっと古いけど あげまん さげまん とか 釣った魚にエサはやらないとか(笑) 
そうそう勝ち組 負け組とか
そうゆう私たち人間の世界では もちろん 勝ち抜いていこう そのために手に入れていこうという自分の中のその構造が作動する
いつも自分が 楽ちんな気楽さ すなわち今を感じようという余裕がある心の状態か 
そうでないかに気づいている必要がある
今なんかどうでもよくて何か手に入れることしか考えられない思いに
乗っ取られている自分をみているといい

ほら ポジティブがよいのはもちろんそうだと思うけど
フックで何かつかみかかるような
なんてゆうの 期待を含んだポジティブさや愛想のよさ 礼儀正しさ

ただ座っているような前向きさとは
それはあからさまにちがう


フック船長(笑)のほうは 自分の期待がはずれたら急に敵意を振りかざしてくるし
態度がガラっと変わるからね
でもこれ普通に私たち日常していることで
自分のそれをいくつもいくつも見つけたら
それが誰かから飛んできても 翻弄されなくなるのがいいところだと思う
うそ臭さに乗っ取られるんじゃなくて
自分でうそ臭さを操作できるようになるかもしれない^^

どんな人も
心から向き合えないことにむなしさを感じるんだと思う。
それこそ人の本質の前向きさ 自然な好感という姿のなせること なのかな

いれものを差し出して いれてくれたら愛想よくしますよ
というのとは反対に
もらおうと思わない姿勢は いれものをひっくりかえした形に感じる
それはフックが壁にかけられて静かにどうぞ使ってもいいですよっと言っているような姿だなあと感じる  もらおうと思わない姿勢はもう自然と何かすばらしいものを与えているのかもしれない
犠牲とはまったく性質のちがうものがあふれている
そうだ 花が咲く姿はそれを教えてくれる。

だれかや何かとかかわっているとき ふと
自分が いれものをどうしているか 意識してみているのもおもしろい

社会でよく言われる ひとに与える人はすばらしいは本当は
ひとを操作しようとしない人のことなのかな 
そのむこうにはほんとうに
もらおうと思わない本人にとってすばらしい世界が ありのままの楽ちんな世界が
ひろがっているのかも。

重荷を渡すか いのちを渡すか
それは 自分が重荷を感じているのか いのちを感じているのかと
同じなんだなあと思う

そしてこの重荷のプログラムは 
ほんとうは憎しみなのです。

まさか〜わたしにそんなものないよ〜って!?
なにゆっとんじゃっあほかって怒りや拒絶が湧く?
それは その憎しみが生き続けようと抵抗しているのかも!

さて それはそうと
自分の体の中の感覚を感じること みえないエネルギーの流れを
意識してみることは だれかやなにかと交感することと同じように
自分を新しくすることができる ここにひな形がある^^

だけど そうしてじっと座っていることもさせない何かひっぱっているものが
私たちの中にはあるのかもしれません

でもそのプログラムを包み込むか そのプログラムに使われるかは
意識しているという一点にかかっているのだ

今は魔女狩りも女性という役割を強いられることもない時代だけど
自分のなかの得も知れぬ
女性性を強い力で押さえつけられたという重苦しさやゆううつさ怒りについて
集合的なものすごい力について
もののけ姫でアシタカが エボシに そなたの中には夜叉がいる
この娘の中にもな と言ったように
自分の内側にその無意識の中でうごくめく夜叉のような部分を見つけたとき

それをどこかで自分はずっと見ないようにしていたなと気づきました
相手も同じ苦しみがあったんだからと正論を言っても
けして相手の苦しみを自分の内側にみることができない みる気がない
自分の奥の奥の鉄の壁みたいな 
自分のそれを苦しみや痛みとさえ感じることをとめているような
自分では思いもよらない構造が
思いもよらず 現実に作用していたときづいたとき 
自分ではコントロールできないような中毒的なほしいほしいのプログラムは
何か企みをはらんでいるときづいたとき
なげきづつけたり恐れて逃げるより
あるんだと受け入れたときの感覚はしっくりした感じでした
そのとき自分にひとつ安らぎを渡したのです
そのときベクトルが反対になりました
夜叉と共存し見つめることは自分の役割だと思うのです
 


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石ころ                 
何かの相手の反応のあと 
この人ほんまになんとかやわあ と私が相手を判断しているとき
その相手の反応よりもずっと前に
このひとは 嫌なことを言うんだろうなという想いをそのひとにべチャッと
はりつけているから そのひとがそうふるまったのかもしれない
ようは 石ころを会う前から なげている


べチャッとはりつけているものを自分の現実としてつくりだし
でもそれは自分でしたものだときづかず 相手のせいだとまた
他者へ 石ころをなげつける
その立場ならこうすべきとか これくらいしてくれるだろうという期待なんかも
石ころにいれたいと思います^^

相手を過去の出来事で判断するとき
わたしは 自分自身が自分の内側の輝きをさえぎっている石ころに
なっているんだなあとふと思った。

目の前で 敵意 とがめを発散している人をみて おお 石ころになっとるな
本人じゃないなと 思えたらすばらしい。
そんなどころじゃなくて 観察をわすれて とがめと一体になって
言い合いになるとき
石ころどうし カチンカチンとぶつかりあって
そこかしこのいのちの流れへの抵抗たちが わさわさわさと共鳴しあう
自分がその共鳴になる
************* この世界は 危ないところだ 
敵がいる 戦わなければ生きていけない
という戦国時代の思いが 現代という 今日 この瞬間もでていたら
もちろん 貧しさや困ったこと 奪わなくてはいけないという思いが今日の世界の基盤になる

他者へ あしたへ 出来事へ 石ころをなげつづける
その世界では 守ってくれることが愛になる
そりゃあ当然です。 わたしも そんなときちょっとでも 危険から救ってくれる人が
愛する人になる 戦わないひとは 裏切り者になる
そして自分も犠牲をはらうことが 相手への愛になる
安全でいるには 戦うこと  安全 安心 愛 にお金もむすびついて
戦うことに 仕事や 人間関係 うばいあわなくてはいけないという想いも
べチャッとはりつけているかもしれない


相手に石ころをなげて 自分は正しいと思い やがてどんどん石ころが大きくなって
その思いに乗っ取られて(その思いを自分だと思い込んで) 
やがて自分が石ころになってゆく
条件を杖にして 働かざる者 食うべからずの世界になるのは その思いの世界では
そのまま理にかなっている
そして条件はうつろいゆくものだし 自分がいのちとすこしづつ離れていっているから
だんだん疲れてくる
世界は 色のない くりかえしのつまらないものになってしまう

ところで  この 光をさえぎるもの と 石ころを ボンドでくっつけて
このたとえ話をしていますが それを はがすと その決めごとだけが
まぼろしのように消えて
たった今
静寂さと賢さをはなち 地球のあちこちに
石ころたちは 静かに息をしているのだなあ^^
過去の出来事も 思いも すべて ボンドをはがすと そのままなんだろな

こんな風に 自分の内側で ひとつひとつ ありのまま そのままにしてゆくことが
私にとって自分の一番大事なしごとのような気がしてます

自分をみていて ああ 大きなうねりの中にいたけど こんな思い込みが基盤になっていたのかあと思うことがあるけど
じゃあ 思い込みを探してやろうと フックをひっかけるようにさがしても
 またちょっとちがうかんじがする 
(ほら お話の 自分がくじらの上にいることなんて 広すぎてわからなかったように(笑))
 


やっぱり一瞬一瞬の積み重ねだろうな

それに べチャッとはりつけている考えが いろんなことを 今支えてくれているかもしれない 急に それが 一気になくなっちゃうと 谷に落ちてゆくみたいに足元がぐらついて
立っていられなくなる気がするから やっぱり
一瞬一瞬 安全な自分のペース、それでいいのだ^^

::::::::::::

自分の世界の中心にすえている考えが
安心や幸せは 外側から もらわないと 自分にはないものだということだと
よく気づくけど
 
自分が いのちの共鳴になるにしても 抵抗の共鳴になるとしても

共鳴する働きが自分のなかにある かがやきの働き 抵抗の働き
それらは自分がもっているから感じるんだということをすっぽりと長いこと
忘れていたようです

本質にむかって
砂時計みたいに 輝きがひとつぶひとつぶ落ちて
それを取り戻している最中で 石ころになっている自分にきづいては
きづいては きづいては 今 今 今 自分をとりもどしてゆく
瞬間を与えられているんだな 

相手がすばらしく感じるとき いい気分になるのは 
かがやきがかがやきに出会って それが 自分にとって楽な自然な状態だから
かもしれない

*************

そう
石ころになるという言葉 なんだったか、、、
ハワイの、、そうだ 高砂淳二さんの
           (おお 高砂ってなんて美しい名前なのだろう
             この名前を見ただけで 砂の美しい音がきこえてくるよう^^)
写真集 night rainbow  の中に紹介してあった。
このこと むかしにもブログで書いたことがあったような気がする。

ちなみに 個人的に なにか おてがみとして誰かに
おくるとしたら
迷わず 私はこの写真集を選ぶ

今 この写真集をめくってみると あとがきに
高砂さんの 
Tales from the Night Rainbow (1816年生まれのある女性ハワイアンによる口述を本にまとめたもの)との偶然の出会いについて書かれてあった。
この本で口述をした女性ハワイアンの家に先祖から伝わるある話として
紹介してあるある ありました。

「どの子どもも完璧な光で満たされたボウルを持って生まれる。
その気になれば光はさらに輝きを増し、サメと泳いだり 鳥といっしょに飛んだり
どんなことでも理解できるようになる。

ただ嫉妬や妬みをもつようになると、石ころをボウルに入れてゆくことになり
やがて光は消えていき、 しまいには その子は石になってしまうだろう。
でも もし石でいることが 嫌になったなら いつでもボウルをひっくり返しさえすれば
また光を輝かせることができるのだ」



この言葉をひさしぶりによんだら 今
自分にすっとはいってきたというより 自分からあふれてきたみたいな
不思議な感じがしました。

そしてわたしの 本棚の真ん中には これがたてかけてあるのです。
Tales from the Night Rainbow ハワイに住む友人が数年前に送ってくれたのです。英語を訳す能力と根気がありません 
でも ときどき
この表紙から ふと とおりすぎたとき ふとちらっと目にはいったとき 
ふとしたとき 感じることをもらっているのです。
本に表紙のお写真をのせさせてもらいますといいました。
今 なんだかいいような気がしました


: 意識 : comments(0) : - : posted by yuka :
いのちがはじまるところ                 
 さっきヨガをしていました。

ほわんとして いろいろな考え、
はやくこれとこれしなくちゃ とか
あいつこんなんしやがってとか(笑)
なんでこうしてくれへんねん とか
そうゆう日常のいろんなことが

なんというか 心の中ですーっと下に落ちてゆく
ほわんとしてそんなことを考えない状態になる 
こころの中が騒がしくて濁っていた水が
砂が下におちて だんだんと意識が
透き通るような心になったとき

指と指の間を 体のなかを あらゆるところに
流れている じわじわした(人それぞれの感じ方がありますが) 
いのちの感覚が
ぐわんと さえぎられることなく あふれてゆきます
まるで自分がバイブレーションになるよう
透き通るようなこころ、、、このまえ書いた無心というのはこうゆうことかなあ

ヨガにはすばらしいところがいろいろありますが
私は この状態を感じることを
自然治癒力を増すことはもちろん 何か
言葉にできないほどすばらしいことだと根拠はないのに
確信のような感覚があります。

いのちと調和しはじめるというのか いのちを尊ぶことなのかなあ

意識について先日から書いていること
心を見つめることや 意識的でいることは  ただ一つこの心の状態に
自分をもってゆくための ツール で 
いのちの方向をさし示しているものに
すぎないんだなあ 
そしていのちは いつもわたしたちひとりひとりの中に流れているのです
ツールがさし示しているものは自分の内側にある


検査の数値などから 食べ物を調整したり何かをひかえたりする
体験をこのごろまわりで
よく聞きます それと同時に お家とかで 静かに自分の身体の中を流れるエネルギーを
感じる時間を持てば尚いいんじゃないかなと思います。瞑想といえば
かたくるしく感じられるかもしれないけど これも 言葉の先入観じゃなくて
自分なりの心地よい感覚をひきだすやり方が必ずあると思います
この感じを感じるには 静かな場所さえあれば できます。
あ でも電車の中でも 待ち合わせで誰かを待ってるときとかも 
意識したらできるから
静かな場所に自分自身がなればできる か^^

あまり重要だとは思われていないけど 
体はここからはじまってゆきます。

みんなひとつのいのちの場所から。
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